来る!自由解放、バンザーイ!
ー余市町市 Cさんー
どこかの国の抵抗勢力の話ではない、長い勤め人暮らしを卒業し、いよいよ人生最大のハッピー年齢である。
時間に縛られない、人に縛られない、長い間憧れた自由時間の“刻”が来た。
さァ、あの世からの招待状が来るまでに、やり残した宿題を見直そう。
あの主人公が生まれた土地に行ってみたい、あの祭りに出逢いたい、あの川に住む魚に糸をたれたい、あの山から雲海を眺めたい‥‥‥。
帰る時間を決めなくていいのだ。

旅を続けて50年、テントからコテージ旅。今では1DKの車輪付き。
失敗と発見と感動のミルフィーユ。まだまだ魅力満載の非日常、一歩踏み出せば情熱の国よ、秘境の村よ。いにしえの歴史、美しき自然。
‥‥‥どこかの会社の旅情報。

とりあえず出かける!これが出来るのがキャンピングカーの魅力である。
どんなレストランの高級ディナーより、キャンピングカーの小さな台所で出来上がる、とれたての魚や新鮮な野菜が物語る地元ならではの会話が生み出す“今日一日”が、最高の味つけとなってくれる贅沢さである。

life252-1
不便さ狭さ、まるでママごとのよう、私たちは多分キャンピングカーの中で子供に帰れるのかもしれない。
あの幼かった頃の自由さ純粋さ(ウン?)、面白がることの喜び、楽しむことの真面目さ、まさにお金では買えないかけがえのない“刻”。
キャンピングカーはそれを手繰り寄せてくれる最大の入り口なのかも知れない。
夜はシアター付きのディナーを楽しみ、眠れば北京のオリエンタルホテル、パリのリッツ、いずれにしてもキャンピングカーはわが家のスーペリヤホテルである。

ゆえに私は愛馬を撫でるが如く車拭きに専念し、名馬につきもののわが愛車の名は“エ〜出るワイフ(エーデルワイス)”、我が家の電話も4379(資産なく)と人は言う。
ウ〜ン ピッタリ‥‥

さァ、出かけるゾ、男の自由を満喫するのだーーーーーー、
『私も行く!』
(エッ、妻も)
今から50年前、あの頃ハイキングに行くのでさえ「外で食事をするのですか!」
と都会育ちの今妻は、のたもうたのである。
あァあの頃だから二人で出かけたかったのだ。暢気に好きなところで釣り糸をたれ、見知らぬ土地で地酒を飲み、お国なまりの言葉を聞きながら湯舟につかり、歴史を堪能しながら暮らすようにその地を巡る。

しかし、歴史は想像を越えて一人旅はままならぬ。
今ではたまに妻の一声「あなた!○○さんちの卵買って来てェ〜」こんな時ぐらいである‥‥‥。
かつては幼い子供達を乗せて荷物満載の荷物旅。やがて子達は大きな顔で巣立って行き、その後は孫のにぎやか旅。しかし今では部活だ友だちだと振り向きもせず出かけて行く。
ウ〜ンやっぱり妻だけが残るのだ。

life252-2
旅に出れば忙しい。朝は湯を沸かし妻のコーヒーをいれ、パンにするかご飯にするか、お伺いをたてる。妻の起床後、ベッドメイクに食事の用意、妻は何やら顔をペタペタ修正中。山の中でも化粧をするのは何故なのだろうを思うが、私は聞かない。タヌキやキツネしか遭わぬというのに、イソイソと鼻歌まじり。
朝市へ出かけることもあるが、大抵は年配のおばちゃんばかり、別に化粧をしたからといってもエキストラにもなれまいに。

しかし、いくら心に思っても私は人間が出来ているので、決して口には出さない。
旅は、何より平和を保たなければいけないことを、身を持って経験しているのである。
狭い空間で不穏な空気は酸欠になるからである。妻は運転しないため、酸素吸入はすぐできる。
「あら〜キレイな花、ちょっと止めて!」
「アレッ。あの建物は、もしかして!」
勝手な指示に心を平静にし、花の前で家の前で、車を止めて待つのである。

私は大望も野望も抱かず、民衆の星になんてなろうとも思わず、私は私の人生の星を見つけるのだ。
「エッ?私がアナタの星だって?」
あーー、違うとは大きな声では言えないが、小さな声では誤解を生む。
ハテサテ‥‥‥。